くつべらマン「そおど君はさ、将来どんな仕事がしたい?」

そおど君「…人と接しない仕事」

くつべらマン「そうだね、だから学校いきたくないんだもんね。じゃあさ。仕事の内容は?」

そおど君「…ゲームがしたい」

くつべらマン「そうだよね、ゲーム得意だもんね。苦手を克服するよりも、得意をひたすらのばせば。…ひょっとしたら!」

三井さん「ちょっとまった!」

くつべらマン「三井さん!…?」

三井さん「くつべらマン、保護者代わりとして、あまりにも無責任な発言の数々!見過ごせん!」

くつべらマン「!? 仕事の話ですか? そりゃ難しいとは思いますが、最初っから無理だと思わずに、彼の希望の道を模索しても…ギフテッドかもしれないじゃないですか!」

三井さん「他が苦手でも、突出した得意だけを磨けばよい…ギフテッド教育は、非常にリスクの高い考え方でござる!」

くつべらマン「な、なぜそんなことがわかるんですか!」

三井さん「こちらの記事をみてくれ!」

くつべらマン「どれどれ…な、なんだって~~~」

三井さん「そう、発達のバランスに課題のある児童を支援する大人たちの希望の星!ギフテッド教育には…養育者には無視してはいけないリスクがある!」

三井さん「大小の差はあれど、仕事というのは基本的に誰かと”協力”をして社会的な成果をつくっていく作業だ。課題を共有したり、指摘を受け入れたり、知らないことを教わったり…コミュニケーションは欠かせない要素なんだ! 一人で!得意だけを!気分で!アウトプットすることは、仕事としては…評価されづらいんだ」

くつべらマン「た、たしかに」

三井さん「もちろん、そうやって一人前の社会人として大成する人がいることは否定しない。しかしまだ多くを吸収する余地がある成長期の子どもに、養育者が”ギフテッド”と学びの幅を限定することは、無責任と言わざるを得ない。教育基本法の教育の目的には”人格の完成”とある。学校で教えるのも教科の勉強だけではない…人との協力を学ぶ機会を設ける旨が学習指導要領に盛り込まれている。学校へ行くことは絶対ではないけれど、多くの大人が労力を費やし考えてきた”子供のうちに学ぶべきこと”を私たち大人は理解し、学力の習得だけではない、子どもの総合的な成長に力を尽くす義務があるはずだ」

くつべらマン「す、すいませんでした。高卒資格とれればいっか、くらいで考えていました」

三井さん「たしかに、高卒資格は有用だし、人と関わらなくても高校は卒業できるかもしれない。でも、そうやって就労社会に放られた元・児童がどう苦労するか、僕たちは学び、前もって彼らに伝え続けなくてはならない」

くつべらマン「うう…穴がはいったら入りたい」

三井さん「これは有名な話だと思うけど、新卒に求める能力の一位にコミュニケーション能力があげられているアンケートもある」

くつべらマン「くそう!こうなったら…そおど君! いっぱいお話しようね!!!」

そおど君「…ぼく、もう行ってもいい?」

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

LINEで友達になって更新情報を受け取ろう!

ページ上部へ戻る